玉川兄弟の足跡
2024年5月13日
東京西部を走る「玉川上水」については、お店や学校のランドマークとして何かと話題に出ることはありましたし、車で近くを走ると緑豊かな景色に心安らぐこともありました。また、私がクリニックとは別の仕事でお世話になっている地域では、“上水沿いの道を歩くのが日課” “夏でも涼しくウォーキングできるとても気持ちの良い場所”など、話題になることが多く、内心、興味を持ってはいましたが、それ以上のことはなく過ぎていました。
先日、とある方から、玉川上水を開削した“玉川兄弟”についてお教えいただく機会がありました。都内の小学校では、玉川兄弟について必ずといっていいほど学習する機会があるそうなのですが、九州で生まれ育った私は初めて耳にする名前でした。早速、インターネットで調べてみると、承応元(1652)年、江戸幕府4代将軍徳川家綱の命で多摩川から江戸の町まで水を引き入れる計画がなされ、幕府から工事請負人として指名されたのが、庄右衛門、清右衛門兄弟(後に、その功績により玉川姓を与えられた)でした。翌承応2年(1653年)に着工、羽村~四谷大木戸までの約43kmの区間をなんと約8カ月で開通させたとか。しかも、標高差がわずか92mしかないことによる工事の難しさ、水が残らず地中に吸い込まれてしまう地点がありルート変更を余儀なくされたこと(現在の「水喰土公園」)、途中幕府からの資金が足りなくなり玉川兄弟が私財を投じて完成させたこと等々、ロマンあふれるエピソードの数々に触れることができました。
江戸の水不足を救い、370年以上にわたって地域の人々の生活に物心両面から潤いを与えてくれている玉川上水を開削した玉川兄弟への敬意とともに、「玉川上水の起点を見てみたいなぁ」と思い立ち、5月の連休に羽村取水堰を訪ね、緑道を歩いてみることにしました。上水沿いは、非常に緑豊かで爽やかな風が感じられ、小鳥のさえずりも美しく、上水には大きな魚がたくさん泳いでいます。玉川兄弟もこの上水沿いを歩いたのかと思うと、わくわく感もあり、ちょっとした冒険気分でした。この日は、羽村取水堰から鷹の台までの約20kmを歩きましたが、次の機会には、鷹の台から現在の開渠終着点の久我山付近まで歩いてみたいなと思っています。
心理士 原
参考資料:東京都水道局「玉川上水の歴史」
https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/kouhou/pr/tamagawa/rekishi.html
羽村取水堰にある玉川兄弟の像
羽村取水堰
玉川上水の起点
水喰土(みずくらいど)公園:園内に福生市指定文化財「玉川上水開削工事跡」がある
新堀橋付近の玉川上水緑道