秋の気配
2025年11月20日
高齢者の生活は、常に確認の日々です。
「目持った?」→(眼鏡はかけたか)
「耳持った?」→(補聴器はしたか)
「足持った?」→(杖は持ったか)
「口持った?」→(入れ歯はしたか)
笑い話のようですが、常に声かけしなくてはどれも片っ端から忘れてしまうのです。
私の母は遠距離の施設に住んでいるため、全て声かけはスマホで行っています。
耳さえ聞こえれば電話で通じる、
目さえ見えればメールは打てる、
聞こえていれば、見えていれば、コミニケーションは大丈夫、そう思っていましたが
ここにきて、どうやらそう簡単ではなくなってきました。
施設に入った母はスマホだけが娘とつながる手段ですが、そのスマホの操作がどんどん怪しくなってきたのです。
時間かまわず母から幾度も着信があるのですが、かけ直すと呼び出し音ばかりでちっとも出てくれなくなりました。
何か言いたいこと、聞きたいことがあるのは明らかです。
スマホに出ないのは聞こえていないか、見えていないか、どこを押したらいいのかわからないか、のどれかです。
メールも変な時間に空メールだし、
留守電にはカチャカチャと音ばかりで、戸惑っている母のつぶやきが途中まで残されていたりします。
そうしているうちに、なんと母は毎日スマホを充電するものだということを忘れてしまいました。
その次の週にはスマホをどこに置いたかも忘れてしまいました。
そうやってとうとう母との連絡がつかなくなってしまったのです。
今まで、家の電話が鳴れば部屋中を光らせて知らせたり、救急ボタンを設置したり、
ペットカメラを取り付けて見守ったりと、デジタルの力を駆使して遠距離介護の助けとしてきましたが、
操作を忘れる、その存在を忘れる、通電していない、となると電化製品の類はもうお手上げです。
私の方は施設のスタッフに連絡すれば、本人の様子は教えてもらえます。
問題は、母のほうでした。
娘と連絡がつかない母は不安に思うようになり、何度もスタッフに娘がいつ来るのか、いつ会えるのか、何度も確認するようになりました。
困った私は、母にハガキを出すことにしました。
ハガキの裏に私たち家族の写真を印刷しました。
(今はコンビニであっという間にはがき印刷ができる時代なんですね。びっくり)
ハガキにサインペンでメッセージを大きく書き添えて送ります。
例えば「〇月〇日〇時に迎えに行きます。何が食べたいか考えておいてね。困ったことはありませんか?」といった具合です。
ビジュアルで顔写真が見えるので誰からきたのか一目瞭然。
言われたことを忘れても、ハガキなら何度でも見返せて便利。
母には、私の住所を書いた返信用のハガキを数枚用意しました。
美しい絵葉書を選んで可愛い切手を貼る作業もちょっと楽しい。
母から私に伝えたいことをそれに書いてスタッフに投函してもらうのです。
まだ始まったばかりの試みですが、
母は数行のメッセージをぽつりぽつり送ってくるようになりました。
こうして優しいスタッフさんたちに支えられ、まさかの文通が始まりました。
母は手が震えてなかなかうまく書けないようですが
久しぶりに見る母の文字をみながら、昔の母はプラプラしている私を諭す手紙をよく送ってきてたっけなぁ、と懐かしく思い出します。
母はそのうちまたハガキの意味も忘れてしまうかもしれません。
それまでは親子文通、ゆっくりと続けていけたら良いなと思います。








