クリニックブログ

サステナブル
2020年12月16日

私の母は地方に住んでいるのですが、もう90近くになります。

昨年父を看取り、一人暮らしになりました。

自治体からは『独居老人』と呼ばれる一人です。

ところがこのコロナ騒ぎ。

感染の多い東京から安易に娘の私が行くことも出来ず、日々心配を募らせておりました。

 

このままではワクチンが出来るまで会いに行けない・・と娘の私が耐え切れず、とうとう田舎の母に会いに行きました。

 

10か月もの間、近親者は誰も訪れない、老人の一人暮らし。

さぞ困難で、部屋も荒れて一人で暗く沈んでいるのでは?と心配しながら玄関を開けました。

 

すると、

目に飛び込んできたのは

秋の色とりどりの庭の草花と鮮やかな色彩の実。

玄関はもちろん、リビング、食卓、トイレに至るまで、綺麗にひとつづつ、庭の草木が活けてありました。

部屋は何故かピカピカ。。

キッチンに雑然と置いてあった様々な調味料の類も減りシンプルにまとめられ、キチンとすっきり整理されておりました。

クローゼットの前には明日着る洋服を上下そろえて用意してあり

昨日着た服は、風を通して湿気を取るため縁側に吊るしてありました。

ベットの足で独り暮らしの自分が怪我しないように、角は手製のパッチワークで綺麗にくるんでありました。

大草原の家、的な。。。(←かなり古いですが!)

 

外階段には落ち葉が丸く渦高くなっていて、少しづつ掃き清めた跡が見られました。

靴は全て出船の形にお行儀良く揃えられておりました。

なんなのでしょう、この丁寧な暮らしぶり。。。

 

 

そうです。

このコロナ禍で、誰にも会えず、一人で暮らしていた母。

娘のネガティブな予想に反し、おうち時間をコツコツ、コツコツ、淡々と家事を楽しんでいたのでした。

 

さすがに昔のように素早くは動かず、立ち上がったと思ってはしばし止まっています。

すぐに忘れては思い出し、

照れたように笑いながらゆっくりひとつひとつ丁寧に家の仕事をしていく様子に、なんだか胸が熱くなりました。

 

 

 

最近の流行で、サステナブルという言葉があります。

やたらと使われていて、

エコとか、人にも環境にも優しいとか、持続可能なうんちゃらと、なんとなく口当たり良すぎてピンとこない私でしたが、

母の暮らしぶりを見て、腑に落ちました

 

 

母は、もう自分の終着点を見据えているのです。

始まりがあれば、終わりがある。

それは、寂しく、胸をキュっと締め付けられる痛みでもあります。

 

 

おばあちゃんは

当たり前のように、自分に限りがあると思っている。

常に変わっていくのが当たり前、

限りがあるからこそ『今日、続けていける』を目標に、ひとつひとつの今を

丁寧に大事に生きている。

 

うまく言えないけれど、そんな感じがしました。

 

『すげえな、、、ばあちゃん。。』

横で息子が静かに呟いていました。

 

まだまだ、おばあちゃん、

私たち娘に、孫に、身をもって教えてくれます。

一日でも続いていてほしい、

私たちに知恵を授けてほしい、と切に願わずにはいられません。

 

 

 

 

受付 菊地