やってあげる、と、やってあげない
2023年8月10日
だいぶ昔のことですが。
幼い息子がフライドポテトをやっと手づかみで食べるようになった頃のことです。
ママ友たちと親子でマクドナルドに行ったとき、
ママ友たちが私の行動に向かって一斉に
「こらこら。やってあげない!!」
と、呆れて笑いました。
私はその時、息子のためにとポテトの横にセットでついていたハンバーガーのバンズと肉とチーズを粉々に砕いて紙一面に並べていたところでした。
その手の出し過ぎを見かねて、ママ友たちは警告してくれたのです。
「親がやってあげたら、子供はずっとできないまんま。何もできないよ。
やってあげない!!大きくて食べれないものが出たら、本人なりになんとかさせる!」と。
これは私にとって衝撃的な言葉でした。
相手は未熟なこども。何もうまくできやしない。
だからあれやこれやと手をかけてお世話するのが親の務めだと思っていたのに。
このことは、ずっとそれからの子育ての指針になりました。
どうしても口出ししてしまいがちな私は自分の気持ちと格闘しながら
成長と共に、だまってみている、やらせてみる、を増やしていきました。
結果、息子は、朝起きれずに遅刻すれば皆から置いて行かれることを知り、
大切なプリントを失くせば先生から進級できないぞ言われてうち震え、
お弁当に箸を入れ忘れれば、空腹に耐えきれずシャープペンで食べる羽目になることを知りました。
結果、沢山の経験を経て、自分でできるように工夫するようになりました。
経験値で先が読める大人にとって、多分失敗するであろうことを黙ってみてるのは非常につらいものでしたが、
その手助けが子供の経験を奪っているのだ、と思えばなんとかなるものでした。
そうやって、私は「やってあげる」と「やってあげない」のバランスに悩みながら進んでいました。
そして最近今度は親の介護で
「手助けする」と「手出しせず任せる」がいかに諸刃の剣であるものなのか
痛感することとなりました。
私の母は90歳を過ぎても田舎で一人で暮らしています。
自炊でご飯も作り、洗濯も毎日のルーティン。
とてもしっかり自立していたのですが、先日風邪をこじらせて入院してしまいました。
幸いすぐに回復して、自宅に戻ってきたのですが。。。
なんと、当たり前にやっていた「ご飯を作る」ことをすっかり忘れてやらなくなっていました。
「そろそろお昼だね」と言いながらニコニコとご飯が出てくるのを座って待っているのです。
入院中、三度三度のご飯は貰えるのは当たり前、ベットも整えなくてもいいわ、掃除もしなくていいわ、の動かなくて済む生活で
「助けてもらう」ことにすっかり慣れて、やるべき仕事を忘れてしまったのです。
「やってあげる」が裏目にでたということです。
このままでは母を一人で田舎に置いて帰れません。
大人でも子供でも、甘やかされた生活は危険なんですね!
その後数日間、母と一緒に「やってあげる」「やってあげない」の駆け引きを続けたのち、母はしっかりと自覚して
無事自炊生活に戻ることができました。
ところが今度は。。
母に電話をかけると、何だか声が枯れて聞き取れません。
また風邪をひいたのかと慌てると、どうやらそうではないのです。
入院中は、看護師さんやお医者様が毎日こまめに声をかけてくれていたのに
家に戻ったら、まったく会話する相手がおらず、発話しない、声を出さない生活になった為、何日も「声帯」を使わずに声が枯れたのです・・・
驚きました。
いつもならディサービスに行って声もだしていたのでしょうが
入院との切り替え中で何のサービスも受けずに一人過ごす一週間を過ごした結果がこれ。
これは、私が放置しすぎ!
「やってあげる」をしっかりとしなくてはならない事態です。
それで時間があるときはマメに電話をし、しゃべることがなくてもなんとかあれこれ話しかけて声を出させて、やっと声が出るようになりました。
改めて考えさせられました。
人はなんと素直に環境の変化に左右されるのでしょう。
私自身も例外ではありません。こうやって元気にいられるのは、時に厳しさに身を置く、その生活環境のおかげで、健やかに過ごせているだけなのかもしれません。
自分一人で自分を作っているのではないのだなぁ、
周りの人々、周りの環境のたまものなのだと、
改めて気が付きました。
有難いことです。
今年も残り4カ月強、暑い暑いとゴロゴロばかりしてないで、1日1日を大切にしよう、と思います。
受付 菊地