クリニックブログ

まかせてみたら
2025年3月12日

私の母は93歳で田舎で一人暮らしをしています。

今年1月に家で転び怪我をして、入院することになりました。

自宅を離れ、やることと言えば時間通りに寝るか食べるか、ボーっとするかの生活を続けて一か月。

病院から施設と転々とする日々を送りました。

するとどうでしょう。

足腰が弱るのは、覚悟していましたが、

体力の衰えもさることながら、どこか様子が怪しいのです。

携帯に出る母の声は、いつもの母の落ち着いたものではなく、

混乱しており、自信のかけらもない声でした。

人が変わったようなその声に驚いて、急遽帰省して母に会い、驚きました。

正直、数週間で人はこんなにも変わってしまうのかと思いました。

あんなにしっかりしていた母はすっかり姿を消し、そこにいるのは、よくドラマで見るような認知症のような女性でした。

オロオロと所在なく部屋をうろつく母は

あれを盗られた、これがない、ここはみんな私の悪口を言っている・・と、わけのわからないことをずっと言い続けていました。

しまった、こりゃ困った、と私は傍にいて話を合わせるほかありません。

つじつまが合わない母の話をうんうん、と繰り返し聞くしかありません。

頭の隅に「こうなった以上、身体の怪我が治っても一人暮らしは無理だ。これからは施設に入れるしかないか?」と受け入れてくれそうな知っている施設をスマホで検索までしていました。

そして、しばらく傍にいると

ところどころ、私の声に反応して、元の母に戻り普通に話が通じる母に戻る時があることがわかりました。

わけがわからないことを言う母と、ちゃんと私と話している母と、

その両方の世界を、行ったり来たりしているような気がしました。

こりゃ、こっちの世界に引き戻さなければ。

なんとか戻ってこい!と焦りますが、私に何ができるかしら・・・

下手に正論を言っても、今の母は拒否されたと受け止めるでしょう。

思いめぐらしながら、結局私は、ここは、まだ時折見せる普通の母に任せてみよう、と思いました。

変な言い方ですが、認知症みたいな母は、仮の姿だ、と思うことにしたのです。

私はひとまず帰ることにしました。

「私はこれで帰るよ、また明日来るよ」と言いましたが、母はスタッフが止めるのも聞かず玄関口ぎりぎりまでついてきて、一緒に自宅に帰ると頑張っていました。

しかし,怪我が完治するまでは、安全の行き届いた施設の生活を母に我慢してもらう他ありません。

自力で気をしっかり持ってもらう他ありません。

振り向かずサッと私は母を置いて出てきました。

なんとも言えない気持ちでした。

安全第一が、母の幸せなのか。

安心が母の幸せではないのか。

私はそれを支えてあげられるのか?

これは未だに自分なりの答えはでていません。

さて、次の日

少し気分転換にと、外出許可をもらい、馴染みの美容室に行ってみることにしました。

母はずっと、同じようにつじつまの合わないとんちんかんなことを言ってはいましたが、

いつもの理容師さんとおしゃべりし、髪を優しく洗ってもらって、少しリラックスできたように見えました。

終わって帰ろうとすると、いやだあの施設に帰りたくないと言うので、お昼ご飯を一緒にすることにしました。

が、ふといたずら心で、「ご飯も良いけど、代わりにこのまま甘いもの屋に直行ってのもあり」と口にしたら、

パッと母の顔が輝いて、「ケーキ!ケーキがいいよ!いちごの。施設では絶対に出してくれない!意地悪だから!」と少女のような顔をして見せました。

母は子供たちに食事の代わりにおやつなんて決して許さない人だったのに、、とその顔を見て思わず笑ってしまいました。

子どものような母を連れてケーキ屋に飛び込むと

私たちはカラフルなホールケーキが並ぶガラスケースをのぞき込み、あれにする?これはどう?乗ってるフルーツあれは何?二人で違うものを半分こにしてみる?とワイワイと迷った末にやっと数種類を頼みました。

「お昼ご飯に山盛りのケーキって最高!」とクスクスと小声で笑いながら、

テーブルに着き、香りよい紅茶をたっぷりと入れてもらい、お店のひざ掛けにくるまって、大きないちごのケーキが目の前に並べられると、

やっと母は、ぽつりぽつりと、自分が施設での生活でどんな風に感じていたかを、自分の言葉で話しだしました。

母の悔しさ、母の驚き、母の不安、母の望み。

大人の理屈などお構いなしに、正直で素直で臆面の無い言葉の数々でした。

お店の方には本当に申し訳ないのですが、ランチ時だというのに、私たちは窓際の眺めの良い暖かな席にどっかりと陣取り、ケーキだけで3時間は粘っていました。(本当にごめんなさい)

窓の外にふわふわと雪が降り下りて、それを見ながら母の気持ちが少しづつ落ち着きを取り戻していくのがわかりました。

自然を眺める癒しのチカラ

外へ出て、ゆっくりと切り替える気持ちのスイッチ

人の手に触られ、人と交流することで生まれる温かな喜び

ルールをはみ出しこっそり楽しむ魅惑的な背徳感

大好きなお菓子をちょっと欲張って頬張る、美しく甘い優しいひと時

全てのことが、良い方向へ、母をいざなってくれたように思います。

おかげ様でそこから十日間、母はどうにか正気を保ちながら施設で頑張って、なんとか念願の自宅復帰を果たすことができました。

認知症のようだった被害妄想のような言動は徐々に弱まり、元の母に戻っていきました。

今、母は、無事に我が家に帰り、また自由な一人暮らしを再開しています。

寝たいときに横になり

思い立った時に自由に庭を眺め

好きな時に好きなものを食べ

お釜に残ったご飯粒を縁側に撒いて、すずめがやってくるのを待っています。

そんな一人暮らしをしています。

あのとき、本当に、母自身に任せて良かった。

それが私の実感です。

子育てではなかなかこれができなかったんだけどなぁ・・と頭を搔きながら、いましばらくは母の望んだ穏やかな暮らしぶりを、そっとできる限り見守ってみようと思います。

受付 菊地