見守るお母さん
2015年9月28日
思春期が近づくにつれ、必ずどこかで言われる言葉。
お母さん、もう手や口は出さないで、あたたかく見守っていてね。
あれこれ口を出したくなる、つい言いたくなる私には、
そんなこと言ったって、見てるだけじゃ、結果、放任も同じじゃない、
まだまだ危なっかしくて、ほっといたらどうなることやら・・と思っていました。
見守るとはどういうことか?
以前、グループワークのセミナーに参加した折、それを体験したことがあります。
二人一組で「見守り役」「見守られる役」に分かれ、周辺を5分間、散歩して下さい、と言われました。
見守りの人は、ほとんど声掛けせず、ペースを見計らったり、脱線したりする危険がないかを気にかけて伴走します。
見守られる役の方は、自由に気の向くまま、赴くままにお散歩です。
見守られて散歩するなんてしたことがない私。
見守り役など気にせず、いつもどおり、普通にお散歩すればいいのよね・・?
いつもと変わらないじゃん・・といぶかしんでおりました。
しかし・・
実際やってみると、すばらしい5分間だったのです。
思いがけない解放感。なんという自由度。
なんだろう、この感覚?
いつも私たち大人は、無意識にも世間を気に留め、時間を気にし、目的に向かい、無駄を省き、生産性を高め、失敗しないように気を付けています。
この5分間、この安心感、なんかなつかしい・・
なんとも気ままな良き時代をふいに思い出しました。
それは、放課後の匂いがしました。
放課後に何時間も仲間とだらだらおしゃべりした日々。
好きな人を目の端でこっそり追ったあの日。
ちっぽけなことに傷ついた日。
涙がでるほど笑い転げた日。
ふと目を上げて、この道の先を意識した日。
かけがえのないあの日の自分の横顔を見たような、不思議な気持ちになりました。
あれはひっそりと、誰かに見守られていた時間だったのか。
親に、先生に、周りの大人たちに。
理屈ではなく、子供に、今だけスペシャルなこの時間を味あわせてあげたい。
無駄なようで、効率が悪そうで、むらがあって、寄り道ばかりのようですが、
見守られた安全地帯で、こすれ合い、折り合い、分かち合い、ぶつかり合い、かすり傷をつけていくことは、
成長するということ。
それを見守る、ということは、大切にしすぎる、でもないし、放任でもないんだな、と感じました。
少しずつ、こどもにまかせることを増やしていこうかな、と思うこの頃です。
菊地