言葉の力
2019年11月18日
11月半ばだというのに、カーディガンの下は未だに半袖を着ています。
年内にダウンコートを下ろす日が訪れるのだろうか?と疑問に感じるほど暖かい日が続いていますね。朝晩の寒暖の差も激しいので、どうぞ皆様お風邪など召されませぬよう、ご自愛ください。
さて、今回は「言葉の力」について考えてみました。
普段は右から左へ流れていくだけの言葉も、何故かふとした時に頭の中にとどまることがあります。それは誰かの言葉だったり、歌だったり、物語だったり様々だと思うのですが、同じ言葉なのにそのような差が生まれるのは何故なのでしょう。苦しい時に耳にタコができるほど聞かされた上滑りするだけの言葉が、突然すっと自分を掬い上げる瞬間がある。不思議です。
私は専門家ではないので、ただ考えるだけで結論を出すことはできないのですが、やはりタイミングが大きいのではないかと思います。自分が持つ思考の方向性、状態、そして誰が発した言葉なのか、そういった色々なものがぴったり合わさった時に「ただの言葉」が形を変えて、受け入れる準備ができていた部分にうまい具合に引っかかるのではないかな、と想像します。
私は現在41歳ですが、そのような言葉に出逢ったのは3~4回程度です。
少なく思えるかもしれませんが、そんなものなのかもしれません。
「変化した言葉」の力は偉大で、苦しみもがいて蓋をした自分の過去をも一緒に掬い上げてくれることがあります。中にはそれを奇跡のように感じる人もいるでしょう。それ故に危うい部分もあると思います。その言葉を発した人を盲目的に信じて自分を見失い、せっかく浮上できたのにもっと深いところまで落ちてしまうといったことも起こり得ます。
忘れてはいけないのが、掬う側と掬われる側、どちらも手を伸ばしているということです。自覚はないかもしれませんが、自分も頑張っているのです。相手だけの力ではありません。ですからそんな言葉に出逢った時には、相手に感謝をするのと同時に「よく引き寄せた、私すごい!」と自分自身のことも褒めてあげて欲しいと願います。
誰かにとっては何でもないただの言葉が、誰かにとっては生涯の宝物になることがある。人生に於ける素敵なことのひとつだと思います。
受付 米田